身代わりの恋が終わるとき

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身代わりの恋が終わるとき

GoodNovel 完結

四島智之(ししま ともゆき)には、身代わりへの執着がある。 智之の亡き初恋の人によく似ているから、私・道田亜紀(みちだ あき)は彼に甘やかされ、わがまま放題に振る舞うようになった。 身の程知らずな女が私に絡んでこようものなら、たとえ午前3時だろうと家まで押しかけ、何十発もビンタを食らわせてやる。 智之は、一度だって私をきつく叱ったことがない。ただ黙って、後始末をしてくれるだけだ。 そんなある日、彼の初恋の人に私以上に似ている女が現れた。 竹永千絵美(たけなが ちえみ)だ。 私を見たその瞬間、千絵美はいきなり私の前に跪いた。 涙目になりながら言った。 「道田さんは人を殴るのがすごく得意だって聞きました。私、痛いのが怖いんです。お願いですから、殴らないでください」 背後にいる智之が、くすりと笑い、彼女を立たせた。 そして私の前に立ちはだかると、千絵美に言い聞かせるように告げた。 「千絵美、今日からはやりたい放題にしていい。 俺に監視をつけてもいいし、他の女を殴ってもいい」 そう言って、ちらりと私を見て、指差した。 「こいつが今までやってきたことは、全部やっていい。こいつより上に立っていい」 智之は私の目を見つめ、そこにどんな感情が隠されているかを探ろうとしている。 けれど私は、ふいに笑った。 智之は知らない。 私にも、身代わりへの執着がある。 彼は、私が見つけた最初の身代わりだった。 そしてたった今、次の身代わりを探しに行くことに決めたのだ。

チャプター (1)

第1章

四島智之(ししま ともゆき)には、身代わりへの執着がある。 智之の亡き初恋の人によく似ているから、私・道田亜紀(みちだ あき)は彼に甘やかされ、わがまま放題に振る舞うようになった。 身の程知らずな女が私に絡んでこようものなら、たとえ午前3時だろうと家まで押しかけ、何十発もビンタを食らわせてやる。 智之は、一度だって私をきつく叱ったことがない。ただ黙って、後始末をしてくれるだけだ。 そんなある日、彼の初恋の人に私以上に似ている女が現れた。 竹永千絵美(たけなが ちえみ)だ。 私を見たその瞬間、千絵美はいきなり私の前に跪いた。 涙目になりながら言った。 「道田さんは人を殴るのがすごく得意だって聞きました。私、痛いのが怖いんです。お願いですから、殴らないでください」 背後にいる智之が、くすりと笑い、彼女を立たせた。 そして私の前に立ちはだかると、千絵美に言い聞かせるように告げた。 「千絵美、今日からはやりたい放題にしていい。 俺に監視をつけてもいいし、他の女を殴ってもいい」 そう言って、ちらりと私を見て、指差した。 「こいつが今までやってきたことは、全部やっていい。こいつより上に立っていい」 智之は私の目を見つめ、そこにどんな感情が隠されているかを探ろうとしている。 けれど私は、ふいに笑った。 智之は知らない。 私にも、身代わりへの執着がある。 彼は、私が見つけた最初の身代わりだった。 そしてたった今、次の身代わりを探しに行くことに決めたのだ。 第1話 私が笑ったのを見て、千絵美は怯えたように、何歩も後ずさった。そのまま智之の胸の中へ逃げ込んだ。 声を震わせながら言った。 「道田さんが急に笑う時は、暴れ出す合図だって聞いた。智之、私、怖い……」 智之は眉を上げ、からかうように私を見た。 「亜紀も有名人になったな。みんな、すっかり怖がってるぞ」 ソファにだらりと腰を下ろし、腕の中の女をぎゅっと抱き寄せた。 「千絵美はお前を怖がりすぎてる。M町の家へ引っ越せ。時間が空いたら会いに行く」 見慣れた智之の顔は、私がずっと想い続けてきたあの人にそっくりだ。 智之がその顔で、今、私を追い出している。 私は笑みを浮かべ、二人の前まで歩いていった。 そして手を伸ばし、千絵美の頬に触れるふりをした。 彼女は血の気が引いた。 智之が勢いよく私の手首をつかみ、その表情が冷ややかになった。 「亜紀。これまではお前を甘やかして、好き放題させてきた。けれど、これからはそうさせない。まだわからないのか?」 その声は凍るように冷たい。 「もう、亜紀を甘やかすつもりはない。この家から出ていけ。 千絵美は他の女とは違う。亜紀が好き勝手に手を出していい相手じゃない」 私は手を引っ込め、くすっと笑った。 そして青ざめた千絵美の頬を、ぽんぽんと軽く叩いた。 「こんな顔、殴って台無しにするわけないでしょ?私以上にあの人に似てる女なんて、そうそういないものね」 智之にウインクして、弾むような声で言った。 「じゃあ、お邪魔しないでおくね」 そう言って、背を向けた。 けれど智之は立ち上がり、私の手首をつかんだ。 「また何を企んでる?いい子ぶるつもりか?」 私は手を振りほどき、完璧な笑みを浮かべた。 「二人の幸せを心から祈ってるわ。理想的な身代わりを見つけるのがどれほど難しいか、私には痛いほど分かってるもの!」 今日までの智之は、あまりにも理想的な身代わりだった。 体つきも、顔立ちも、声も、その性格さえ。 亡くなった元夫・赤羽大和(あかば やまと)と、ほとんど見分けがつかないほどそっくりだった。 私がどれだけわがままを言っても、どれだけ騒いでも、大和と同じように、限りなく甘やかしてくれた。 夢中になっていたのは、ただ甘やかされる感覚だった。 けれど今、新しい女が現れた。 智之は、もう私を甘やかさない。 それなら、もう私にとって立派な身代わりではない。 智之の顔色が、ますます険しくなった。 声を低くして言った。 「千絵美に手を出すな。彼女に何かあったら、必ずお前に責任を取らせる」 私は一瞬、言葉を失った。 かつて彼が私を庇っていたときも、みんなに向かって、同じように言っていた。 「誰だろうと亜紀に手を出すな。俺が許さない」 第2話 胸の奥にかすかに浮かんだ痛みを押し込めた。 私はへらへら笑って言った。 「まさか。今すぐ出ていくよ」 西の田舎にあるM町は、私と智之が出会った場所だった。 初めて顔を合わせたときのことは、今思い出しても笑えてしまう。 二人ともその場に立ち尽くし、互いの顔を食い入るように見つめていた。 あの日、彼はM町で家を買ってくれた。 そして私を囲い込み、ひたすら甘やかしてくれた。 M町の家に着き、ベッドに横たわりながら、私は2日後の航空券を取った。 故郷へ帰り、大和の墓参りをすることにしたのだ。 次の瞬間、家全体が突然停電した。 あたり一面を、押し寄せるような闇が覆う。 大和が亡くなってから、私は暗闇がひどく怖くなった。 震えが止まらなくなるほど、息もできなくなるほど怖い。 思わず智之へ電話をかけた。 暗闇の中で、コール音が何度も何度も響き渡る。 一回鳴るたびに、私の心臓も激しく跳ね上がった。 何度かけたか数えきれないところで、ようやく電話がつながった。 すぐに口を開いた。 「智之、M町の家、電気が落ちたの。早く誰か呼んで見てもらって……」 焦る気持ちでいっぱいだった私の耳に返ってきたのは、千絵美の声だ。 まるで私が何のために電話したのかわかっているかのように、静かな声で言った。 「智之なら、お風呂に入ってる。どうして停電したのか知りたい? 私が道田を怖がりすぎてるから、智之がわざとブレーカーを落としたんだよ。道田に頼みに来させて、惨めな姿を私に見せるんだって。そうしたら、私も少しは怖がらなくなるだろうって」 彼女はくすっと笑った。昼間、あれほど私を怖がっていた様子は、もうどこにもない。 「道田、私にお願いしなよ。頭を下げてくれたら、電気をつけてあげる」 闇が私を包み込んでいる。 思い出すだけで胸が引き裂かれそうになる光景が、少しずつ私の中へ入り込んでくる。 全身に冷や汗が噴き出し、まるで誰かに首を絞められているみたいだ。 智之は、私が暗闇を怖がっていると知ってから、一度も私を闇の中に置かなかった。 私がいる場所は、必ず明かりで満たしてくれた。 一度、偶然の停電で、私が息も絶え絶えになっている姿を目にしたからだ。 それなのに今、彼は自分の手で私を闇の中へ突き落とした。 私は震える手で電話を切った。 目を閉じ、何とか耐え抜こうとした。 それから十分ほどして、玄関の扉が開く音がした。 智之が慌ただしく駆けつけ、私の前に姿を現した。自分の手で明かりをつけてくれた。 世界がまた明るくなった。 全身を冷や汗で濡らし、意識が遠のく私を見て、彼の目に一瞬、いたわるような色が浮かんだ。 そして思わず私へ近づき、抱き上げた。けれど、口から出た言葉は、動きとは裏腹だ。 「意地を張って、頭を下げるくらいなら自分で耐えるっていうのか? 千絵美が心配して、俺に様子を見に行ってやってって頼んだんだ。それなのに、お前は千絵美を脅したのか?電話で脅されて、怖くて眠れないって彼女が泣いてたぞ」 少しずつ意識が戻ってくる。 「彼女の言うことなら何でも信じるの?彼女を脅す理由なんてどこにある?」 智之は、陰鬱な目で私を見つめた。 「本当に亜紀を甘やかしすぎた。千絵美は嘘なんかつかない」 私は鼻で笑った。 智之は立ち上がり、落ち着いた声で言った。 「この家はもう千絵美の名義だ。お前には、しばらくの間住まわせてやるだけだ。いつでも千絵美がお前を追い出せるんだ」 私は顔を上げ、長いあいだ黙って彼を見つめた。 この家を私にくれたとき、彼はこう言った。 「この家は亜紀のために買ったんだ。何があっても、ここは亜紀だけのものだ」 私はその言葉を信じきっていた。 隅々まで心を込めて飾りつけ、お揃いのスリッパやペアルックを用意した。 二人の写真も、あちこちに飾った。 本当に、ここを自分の家だと思っていた。 それなのに今、彼は私に告げた。 ここはもう私のものではなく、別の女のものだと。 「しばらくの間住まわせてやるだけ」という言葉が、あまりにも残酷に胸へ突き刺さった。 けれど幸いなことに、私はもうすぐここを離れる。 静かな声で言った。 「智之が買った家なんだから、どうするかは智之の自由でしょ。私が口を挟む筋合いはないわ」 智之は、私が思っていたほど嬉しそうな顔をしなかった。 眉間の皺は、ますます深くなっていく。 第3話 「お前らしくないな。いつものお前なら、大騒ぎして大勢を巻き込んででも暴れまわるはずだ。こんなふうにあっさり受け入れるなんて」 私は無理やり笑みをつくった。 「こんな私を見て、智之は嬉しいはずでしょ?」 彼が一瞬固まったそのとき、電話の着信音が鳴った。 向こうから、千絵美が泣きながら言った。 「智之、私、怖い夢を見たの。夢の中で、道田さんに殴り殺されそうになって、それだけじゃなく、みんなの前であなたの服を全部脱いでやるって言われて……」 智之の目元がやわらぎ、宥めるような声をかけた。 「怖がらなくていい。すぐ戻って、一緒にいてやる。俺がいる限り、誰にも千絵美を傷つけさせない」 千絵美は、しゃくり上げながら言葉を続けた。 「ずっと言えなかったんだけど、道田さん、男を何人か使ってネットで私に嫌がらせしてきたの。それに、私のプライベート写真を合成して……もう本当に耐えられない。 もし道田さんが、私が智之を奪ったからって恨んでるなら、お願いだから別れよう。本当に道田さんを相手にするなんてできない……」 ひとつひとつの言葉が、あまりにも真実っぽく聞こえた。 その瞬間、私は表では身を引き、裏では陰湿な女として仕立て上げられた。 智之は私を見下ろし、一言一言を噛みしだくように吐き捨てた。 「つまり、亜紀が冷静を装ってたのも、ただの駆け引きだったわけだ」 冷たく落とされたその声が、胸の奥を深くえぐった。 「もっと早く気づくべきだった。お前は、生まれつき性根が腐ってる」 その目は、凍るほど冷たい。 言葉のひとつひとつが、胸に突き刺さってくる。 愛されていたときは、わがままで可愛い女。 愛されなくなれば、生まれつき性悪な女。 突然、もうこれ以上智之と絡み合っていたくない。 智之は声を潜めて千絵美に言った。 「千絵美、俺から離れようなんて考えるな。 これからはもう、あいつが千絵美の前に現れることはない」 そう言って電話を切り、私のスマホを取り上げた。 「この家がお気に入りなんだろ?ここで大人しくしてろ。俺の許しがない限り、一歩も外へ出るな」 私はとっさに立ち上がり、スマホを取り返そうと手を伸ばしたが、あっさりかわされてしまった。 そのスマホの中には、大和との小さな思い出が、ひとつひとつ詰まっている。 大和が私に残してくれたボイスメッセージもある。 どれも、かけがえのないものだ。 私は焦りのあまり目を血走らせた。 けれど智之は、満足そうに笑った。 私の頭をそっと撫で、優しい声で言った。 「亜紀が感情を制御できなくなる姿を見るのが好きなんだ。そういうところが、あの子にそっくりだ」 でも今の私は、少しも彼の初恋の人には似たくない。 ただ、自分のスマホを取り戻したいだけだ。 「安心しろ。絶対に亜紀を見捨てたりなんかしない。千絵美がそこまで怖がらなくなったら、また会いに来る」 そう言い残し、彼は扉を閉め、鍵までかけた。 私がいくら押しても、叩いても、開かない。 その場にへたり込み、ふっと力が抜けた。 家の中は、しんと静まり返っている。 ただ、誰かが急いで食事を運んできて、そのまま立ち去っていく。 夜になるまで、私は一人きり放置された。 日が落ちた頃、千絵美が扉を開けて入ってきた。 目が合った瞬間、彼女の唇がわずかに吊り上がった。私の惨めな姿を見て、満足しているようだ。 「何しに来たの?智之に言って、ここから出してって」 彼女の手には、私のスマホがある。 私はすぐに立ち上がり、鋭い声を上げた。 「どうして私のスマホを持ってるのよ!返して!」 千絵美は、スマホを頭上高く掲げた。 「へえ、そんなに大事なんだね。まさか、人には見せられないようなものでも入ってるの?」 私を見ながら、軽い調子で言った。 「これを壊しちゃったら、智之、怒るかな?だってこのスマホ、彼が私に預けてくれたものだし。最初は返してあげようと思ってたの。そうすれば、道田もここから逃げられるから……」 私が反応するより先に、彼女は腕に力を込め、スマホを床へ思いきり叩きつけた。 見るも無惨に壊れたスマホを前に、私は呆然と立ち尽くした。 頭の中が真っ白になった。 いくつもの夜を耐え抜く支えになってくれたものが、千絵美の手で、あっけなく踏みにじられた。 千絵美を見つめた。 さすがに彼女も、遅れて怖くなってきたらしい。 第4話 私は一歩、また一歩と近づいていく。 「いつも私に殴られるのを怖がるふりをしてるよね?じゃあ、どんな気分か、実際に味わってみれば?」 大和が生きていた頃、私は彼のそばで少しだけ空手を習っていた。 千絵美みたいなか弱い女を相手にするくらい、余裕だ。 髪をつかんだだけで、彼女は悲鳴を上げ始めた。 「どうしてわざわざ怒らせに来るの?こっちはずっと我慢してたんだから」 何度もビンタを浴びせていると、そのとき。智之が勢いよく扉を開け、顔色を失って立ち尽くしている。 千絵美は涙をぽろぽろこぼしながら、その胸へ飛び込んだ。 私は手首を回し、少しも怯まず智之を見つめた。 これまで何度も、彼に後始末をしてもらった。 でももう、彼を必要としていない。 智之は床に転がったスマホを見て、すべてを察した。 声はひどく冷たい。 「そのボロいスマホがそんなに大事なのか?壊れたって大したことないだろ。新しいのをいくらでも買ってやるから」 彼は視線を落とし、痛ましそうに千絵美の髪を耳にかけてやった。 千絵美は、目を真っ赤にして泣いている。 「ただ、うっかり道田さんのスマホを落としちゃっただけなの。本当は逃がしてあげるつもりだったのに、急に殴られて……」 智之はわずかに眉を寄せ、思わず問いかけた。 「千絵美があんなに亜紀を怖がってただろ?それなのに、どうして急にここまで来たんだ?」 千絵美は、何も言わなかった。 ただ目を赤くしたまま、涙で潤んだ瞳で智之を見た。 智之は、長いあいだその顔を見つめている。まるで、その顔の奥に潜む別の誰かを見ているようだ。 やがて、低い声で言った。 「その目がある限り、千絵美に少しでも辛い思いをさせるなんて、絶対に許さない」 そして振り返り、私を見た。 「謝れ。さもなければ、千絵美と同じ目に遭わせる」 その目には、少しの温もりもない。 なるほど。千絵美のほうが私より少し似ているだけで、智之はそんな彼女をどこまでも許してしまう。 昔もそうだった。 何かあれば私の前に立ち、私が何をしても、ただ笑って、何も言わずに片づけてくれた。 私は顔を上げ、一言一言区切るように言った。 「どうして謝らなきゃいけないの?こいつが死なずに済んだだけでも、私が手加減してやったってことでしょ。私のスマホの中身がどれだけ大切か、智之には……」 そこで、はっと口をつぐんだ。 自分の過去を、他人の前でわざわざさらけ出したくない。 智之はわずかに眉を寄せた。 すると千絵美が、ちょうどいいタイミングで口を開いた。 「智之、もうこのことで怒らないで。私は何もいらないから。これからは、もう道田さんに会わないでほしいの。それだけでいいわ。それを私への償いだと思って」 いかにも聞き分けがよく、智之を困らせたくないと言わんばかりの様子だ。 それが、智之の心にすっと入ったらしい。 どうやら、これも悪くない罰だと思ったようだ。 彼は私を見て、笑っているのか笑っていないのかわからない顔をした。 「千絵美の言うとおりだ。もう会わない。それが、亜紀にとって一番きつい罰だ」 彼は千絵美を抱き寄せたまま、一度も振り返らず外へ出ていった。 きっと私が、彼に一目会うためなら、死ぬほど騒ぎ立てると思っているのだろう。 でも、間違っている。 どうして私が、ここで大人しく彼の気まぐれを待たなきゃいけないのだろう。 私は床に落ちたスマホを、そっと拾い上げた。 画面は完全に砕けていて、電源すら入らない。 それでもそっとカバンの中へしまった。 この家から何も持ち出さない。 ただ、ほとんどガラクタ同然になったこのスマホだけを持っていく。 智之は高を括っているのか、扉に鍵すらかけなかった。 私が出ていくはずがないと、確信しているのだ。 玄関を出ようとするとき、ひどく軽やかな気分だ。 防犯カメラに向かって、静かな声で言った。 「智之は本当に私の元夫にそっくりだったわ。でも残念ね。もう別れよう」 ためらわずに外へ歩き出した。 空港へ向かい、搭乗手続きを済ませ、SIMカードを抜く。 すべて、一気にやった。 智之のもとを離れる道のりは、拍子抜けするほど順調だ。 私は目を閉じ、静かに着陸を待った。

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